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日記

ついに我が家でもインフルエンザが。弟が昨日から39度もある。たぶん新型じゃないとは思うけど、下痢だし、動くのも苦しそうだ。だから明日は仕事を休んで病院へ行くのだろう、と思っていたら「病院嫌いだから行かない」と言うのだ。おいおい。でも結局皆に諭され、朝起きて熱があれば行く事にしたようだ。


父はちゃんとした仕事を正社員でしてほしいらしい。ボーナスもないと年収が全然違うとか言う。今日は「昔からちゃんと考えていたらこんな苦労しないぞ」と言っていたけど、自分はボーナスは欲しいけど、自由の効く制作環境とは天秤にはかけられないし、そのうえ絵を描いていることを全然後悔してないし、そもそも人にとって一番の幸せは安心ではなく、感情の向く方へ一本筋を通す事だと思うので、そういうような事を言ったら空気が悪くなったので、やめた。父は父で決めた使命をまっとうしているので、正しい事を言っているのだ。そしてまた自分も正しい事を言っているのだけど、まだまだまっとうしてないからまだまだわかってもらえないのだろう。たぶん


ともかくバイトの面接が決まった。書類審査は通ったようだ。来週の日曜。地元に新しくできるモールの中のシネコンのバイト。仕事内容は映写技師、チケット売り、ポップコーン売り、グッズ売り、もぎり、掃除係etc…のどこかを担当する事になるようだ。スタッフはただで映画を見れることもあるらしい。割と自由も利きそうだし、うむ、これだなと思った。気合い入れて頑張ろ

お茶の仕事は、約一ヶ月も音沙汰がなかったのに、突然落ちましたという知らせがきた。「別の所で早く決まる事を祈っております。」とかしこまって言ってくれたけど、なんて中身のない言葉なんだあ!と思って笑った。
# by alpstocalpis | 2009-06-01 04:21 | 日記

アート砂漠

そろそろ、いろんな作品を見たいなと思ったけど、県立美術館では本館も閉まっているし、ということは、ほぼ他に見る所がないことに気づいた。う、、、、、なんてこった。日照り…、うー、水が飲みたい。
でも絶対、生き延びてやるぞ
# by alpstocalpis | 2009-05-24 03:52 | 日記

またそろそろ

次は1メートルのスクエアを2枚描き始めます。絵の具が少なくなってきてるからはやく仕事を見つけたい。なんで受からないんだろう。やっぱり髪型だろうか。それとも経歴が気に入らないのか。このぶんだと、コンビニとか、介護とか、飲食系とかしか受からないかもな…
だいたい地元では芸術やってますっていうと多くの人は遊び人でも見るかのような反応。大の大真面目に言っているのにさ
ホームページ作りのためにフラッシュを勉強している。だんだんわかってきました。
# by alpstocalpis | 2009-05-23 03:34 | 日記

喧嘩

昨日のびるがボス猫にやられた。ボスは石でおっぱらった
のびるは噛まれたところが腫れてきたので病院に連れてった。ウミをだして、予防接種して、抗生剤を打って治療してもらった。治療も患部をいじられるからじっと耐えるのがつらそう。

早く怪我を治して良くなってほしい。あと、今後ボスには気をつけなくては。しばらくは家から出さないようにします
# by alpstocalpis | 2009-05-22 04:15

深夜孝『描くということ』

 なんで僕は学校を卒業してからどんどん色々犠牲にしてまで絵を描いてるのか。描いている内容よりも描く自分そのものを不思議に思う事はある。思いをめぐらすと、きっかけになった出来事らしき思い出はあやふやになってきてるのにその時々で現れた感情のほうは、形容できないにしてもとても強く残っていると感じる。
 もしかしたら感情とは、由縁を失ってしまって形を変えても、なんらかの形で残っているのかもしれない。それはつまるところ幽霊?…とはいえ実際の所は幽霊が一体なんなのかは知らないけど、でももし幽霊の正体が、肉体を失った感情の残りかすか何かだと仮定すると、自分の中にある昔の記憶の、忘れたのに今もリアルな感情のたぐいはやはり幽霊だと言える。ひょっとしたらそのうち自分が死んだ時に肉体から解放されて外の世界に僕の幽霊が出て行くのかもしれない。
 自分の中で由縁を失った、わからないもの(幽霊)は、言葉では説明できないし、姿もないから、そのもやもやをしたものを描く事で具現化しようとしているのか?…いや、そんなわかりやすいものでもないだろう。きっともっと複雑なよくわからないもののはずだ。

 ところで幽霊になっても消える事のない感情というのは、今の自分にとっても無関係なものではない。今の自分を形作っている要素の一つでもあるし、新しい感情を生み出す要因にもなっている。現在は過去からできているし、未来は今、現在を糧に作られている。そういった因果律は精神の世界でも同じなのかもしれない。

 僕はからっぽの部分が多い人間だ。からっぽの部分とは無感情、無感動の事だ。芯がないから欲に対しての抵抗力が弱いところもある。興味をひくものや感情を揺さぶってくれるものは何でも欲しかったし、感情豊かな世界とふれあう事こそ至上の喜びであった。しかしそれでいてからっぽの状態はとても楽だとも感じていた。
 しかし絵の中には自分しかいないから僕の思う事とか好きな事とか感情とかが出てしまう。他人を描いてもそれは僕から見たその人しか描けないし、道徳や理念を説いてみせても、自己満足のようになってしまう。どうしても自分が出てしまうから結構苦しむ。いつだって思い描くような理想とは違うものになり、そこに見たくない自分の現実が見えるからだ。だけど絵をはじめて、いくぶん感情的な人間になってきている。苦しいのも楽しいのも一緒くたにやってくるから、色々悩んで色々楽しんでいるのだ。何も考えず感情の方向に走ってしまう僕にとって絵はとても寛容だし、実は相性がいいのかもしれない。

 そう考えると自画像が向いているかもしれないと思うけど、たぶんそうでもない。何を描いても自分だと思うし、きっと同じモチーフでは飽きてしまう。今こうやって思っていることも多分変わるだろう。とりあえず今は美術の文脈だとか、売れるだとか忘れる時期かもしれない。これまではそういうのに捕われて損していた気がする

何かまとまるかと思ったら結局わからん…。わからんということはわかった。

深夜の文章を気をつけずに描いてみる新コーナー『深夜孝』第一回でした、…消すかもしれません
# by alpstocalpis | 2009-05-20 05:45 | 深夜孝